色々日記
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ベツレヘム出身のエリメレクという人と、ナオミという人が結婚して
マフロンとキルヨンという、二人の息子が生まれた。
やがてベツレヘム地方は大飢饉に見舞われたので、
エリメレク一家はモアブに移り住んだ。マフロンとキルヨンは、
それぞれ地元の女性であるルツとオルパと結婚した。
さて、エリメレクは死に、マフロンとキルヨンも
子どもを授かる前に他界してしまった。
残ったのは、ナオミと、二人の嫁。
女性ばかりで、心細く不安な生活を送っていたに違いない。
そんな折、ベツレヘムの飢饉が終わったとの知らせを受けて
ナオミは故郷に帰ることを思い立った。
ついてこようとする二人の嫁に、
「わたしについてきても、あなたたちの再婚の望みはないのよ」と
モアブに残るよう説得するナオミであったが、ルツはそれでも
「あなたの神はわたしの神」だと言って離れなかった。
イスラエルとモアブは、宗教の違いもあって
たびたび争いを繰り返してきた、どちらかというと
お互い仲のよろしくない民族である。
そのイスラエルの神を受け入れると、ルツは固く決心してついてきたのだ。
マフロンとキルヨンという、二人の息子が生まれた。
やがてベツレヘム地方は大飢饉に見舞われたので、
エリメレク一家はモアブに移り住んだ。マフロンとキルヨンは、
それぞれ地元の女性であるルツとオルパと結婚した。
さて、エリメレクは死に、マフロンとキルヨンも
子どもを授かる前に他界してしまった。
残ったのは、ナオミと、二人の嫁。
女性ばかりで、心細く不安な生活を送っていたに違いない。
そんな折、ベツレヘムの飢饉が終わったとの知らせを受けて
ナオミは故郷に帰ることを思い立った。
ついてこようとする二人の嫁に、
「わたしについてきても、あなたたちの再婚の望みはないのよ」と
モアブに残るよう説得するナオミであったが、ルツはそれでも
「あなたの神はわたしの神」だと言って離れなかった。
イスラエルとモアブは、宗教の違いもあって
たびたび争いを繰り返してきた、どちらかというと
お互い仲のよろしくない民族である。
そのイスラエルの神を受け入れると、ルツは固く決心してついてきたのだ。
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クリスマスとミトラ教
12月25日はイエス・キリストの誕生日としてキリスト教の祭日となっている。しかし、実際にはイエス・キリストがいつ生まれたかは定かではなく、12月25日をクリスマスとして祝うのは後世に後付けされた習慣である。聖書にもイエス・キリストが生まれた日付は記述されていない。
前述のローマ帝国時代において、ミトラ教では冬至を大々的に祝う習慣があった。これは、太陽神ミトラが冬至に「生まれ変わる」という信仰による。(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)
この習慣をキリスト教が吸収し、イエス・キリストの誕生祭を冬至に祝うようになったとされる。
12月25日はイエス・キリストの誕生日としてキリスト教の祭日となっている。しかし、実際にはイエス・キリストがいつ生まれたかは定かではなく、12月25日をクリスマスとして祝うのは後世に後付けされた習慣である。聖書にもイエス・キリストが生まれた日付は記述されていない。
前述のローマ帝国時代において、ミトラ教では冬至を大々的に祝う習慣があった。これは、太陽神ミトラが冬至に「生まれ変わる」という信仰による。(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)
この習慣をキリスト教が吸収し、イエス・キリストの誕生祭を冬至に祝うようになったとされる。
神のいつくしみへの礼拝1996年発行版より
イエズスは特に、私達にイエズスの十字架の死をを思い出させる時間、つまり3
時にご自分の受難を黙想し、この受難がもたらした恵みを求めて、祈る事を望ん
でいます。
「3時に、特に罪人の為に私の憐れみを願い、そうしてほんの短い間でも私の受
難、特に死ぬ時の私の孤独について黙想しなさい。この時間は、全世界の為の偉
大ないつくしみの時間なのである。あなたに、私の致命的な悲しみを悟らせる。
この時間に、私の受難によって私に願う人々を私は誰一人拒む事がない」
イエズスは、この時間に十字架の道行や聖体訪問をするように、またこれが出来
なければ、その時間にいる所で短い祈りを唱えるようにシスターに言われました
。私達は例えば、イエズスがシスターに教えた次の祈りを唱える事が出来ます。
「私達の為に、イエズスの御心からいつくしみの泉として流れ出た血と水よ、あ
なたに信頼します」
この黙想が出来る環境にある方は、時計のアラームを午後3時にセットして、偉
大な恵みの時を逃さないようにしましょう。毎日可能な方は最大限活用しましょ
う。
イエズスは特に、私達にイエズスの十字架の死をを思い出させる時間、つまり3
時にご自分の受難を黙想し、この受難がもたらした恵みを求めて、祈る事を望ん
でいます。
「3時に、特に罪人の為に私の憐れみを願い、そうしてほんの短い間でも私の受
難、特に死ぬ時の私の孤独について黙想しなさい。この時間は、全世界の為の偉
大ないつくしみの時間なのである。あなたに、私の致命的な悲しみを悟らせる。
この時間に、私の受難によって私に願う人々を私は誰一人拒む事がない」
イエズスは、この時間に十字架の道行や聖体訪問をするように、またこれが出来
なければ、その時間にいる所で短い祈りを唱えるようにシスターに言われました
。私達は例えば、イエズスがシスターに教えた次の祈りを唱える事が出来ます。
「私達の為に、イエズスの御心からいつくしみの泉として流れ出た血と水よ、あ
なたに信頼します」
この黙想が出来る環境にある方は、時計のアラームを午後3時にセットして、偉
大な恵みの時を逃さないようにしましょう。毎日可能な方は最大限活用しましょ
う。
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☆*:.……恵みあふれる聖書の世界へようこそ…….:*☆
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、
神に求めなさい。
そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、
いのちをお与えになります。
死に至る罪があります。
この罪については、願うようにとは言いません。
1ヨハネ5:16
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
この箇所を大変恐れる人がいます。
「もしかしたら、私は死に至る罪、赦されない罪を犯してしまったのではないだ
ろうか。
『そういう人のためには願わない』と書いてあるから、私はもう駄目だ」
と思って、おびえてしまうのです。
でも、もしあなたがそういうふうに思ったことがあるなら、安心してください。
ヨハネはあなたを脅すためにこの手紙を書いたのではありません。
私たちがイエス様を救い主として告白し、
イエス様とともに歩んでいくことの幸いを知ることができるように、
この手紙を書いているのですから。
しかし、ヨハネの周りには
「イエスの救いなんて私に必要ない。
そんなものは、私にとって何の益も意味もない」と言って、
明確にイエス様を拒否する人たちが沢山いました。
そのようにイエス様を拒否し続けるということは、
イエス様の救いを拒否するということにつながるのです。
イエス様は決して、人を滅ぼそうなんて思っていません。
イエス様は、すべての人が救われることを願っています。
そのために、私たちの罪のため身代わりとなり十字架について下さったのですか
ら。
私たちには、死に至るのではなく、永遠のいのちに至る、
赦しと救いの約束が、イエス様から差し出されているのです。
だから、友のために、家族のために、救いを祈り求めていく者でありたいですね
。
☆*:.……恵みと平安がありますように…….:*☆
:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::
†城山キリスト教会 http://sky.zero.ad.jp/church/
(牧師:関根弘興)
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だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、
神に求めなさい。
そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、
いのちをお与えになります。
死に至る罪があります。
この罪については、願うようにとは言いません。
1ヨハネ5:16
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
この箇所を大変恐れる人がいます。
「もしかしたら、私は死に至る罪、赦されない罪を犯してしまったのではないだ
ろうか。
『そういう人のためには願わない』と書いてあるから、私はもう駄目だ」
と思って、おびえてしまうのです。
でも、もしあなたがそういうふうに思ったことがあるなら、安心してください。
ヨハネはあなたを脅すためにこの手紙を書いたのではありません。
私たちがイエス様を救い主として告白し、
イエス様とともに歩んでいくことの幸いを知ることができるように、
この手紙を書いているのですから。
しかし、ヨハネの周りには
「イエスの救いなんて私に必要ない。
そんなものは、私にとって何の益も意味もない」と言って、
明確にイエス様を拒否する人たちが沢山いました。
そのようにイエス様を拒否し続けるということは、
イエス様の救いを拒否するということにつながるのです。
イエス様は決して、人を滅ぼそうなんて思っていません。
イエス様は、すべての人が救われることを願っています。
そのために、私たちの罪のため身代わりとなり十字架について下さったのですか
ら。
私たちには、死に至るのではなく、永遠のいのちに至る、
赦しと救いの約束が、イエス様から差し出されているのです。
だから、友のために、家族のために、救いを祈り求めていく者でありたいですね
。
☆*:.……恵みと平安がありますように…….:*☆
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