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色々日記
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四旬節はつらい?

"新春"ような美しい言葉を耳にすると心はずむ喜びが生じてきます。反対に冷たく暗い感じを与える言葉もあります。"四旬節"はその一つでしょう。灰の水曜日から(本年2月6日)、日曜日を除いて、聖土曜日まで40日間も長く続くこの期間を楽しく迎える気にとてもなれないものです。でも、信仰の目で見れば、一番大事な救いの喜びをいただくときではないでしょうか?
 四旬節というと、"断食・犠牲と祈り"の3つの業が浮かんできます。しなければならないと思うと、辛いものですが、それを心をこめて捧げると、教会とともに聖なる3日間に向かって歩んでゆく効果的な期間になります。
 よい四旬節を過ごすよう、自分が神さまとそして同時に他の人へ近づいていくように、ヒントを紹介しましょう。
・こころから祈ること。例えば、電車に乗って、散歩しながら、家事をこなしながら。あるいは、仕事や宿題を始める前に。
・日曜日ごとの「聖書と典礼」のみ言葉の一節を選んで味わいながら、その過の自分の霊的な糧とすること。
・毎日、他人のために、頼まれる前に自発的によい業を一つ行うこと。
・他人から書を受けたり、不愉快なことを言われた時、怒ったり攻撃したりする前に、ちょっと聖書の助けを頼むこと。(自分の気持ちを抑えるよりも、聖霊の力によって心を変えていただいたほうがいいでしょう?)
・自分に必ずしも必要でないのに、自分の欲望を満たすために高価なものを買ってしまった時、その値段の数パーセントを分かち合いの心で、貧しい人とか、失業者とか、施設にいる子どもとかのために、四旬節献金をしたり、福祉団体に献金したりすること。
・あの人に電話したら喜ぶ、訪問したら善いと、常々思っていることを実行すること。
・からだのゆるす限り、献血をすること。(命を救うことに協力できるでしょう!)
などなど…。よい業を行うことによって、神さまに喜んでいただくと同時に、自分の心が少しずつ清められて、主の復活の大きな救いの喜びを深く味わうめぐみをいただくのです。思い切って、辛いと思っていた四旬節を深い霊的な訓練の期間に変えてみませんか?

コーナン・ミシェル 神父
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1980年 3月25日 主のお告げの祭日
私の承諾とあなたがたの承諾
 愛する子らよ、主のみ旨に対して、承諾をあらわすあの瞬間の、あなたがたの天の母をごらんなさい。
 この承諾は、私の魂のなかにみのった深い沈黙の実でした。
 内的沈黙――私は、習慣的にこの沈黙のなかに生き、神のみことばだけを求める方針をたてていました。そのもっとも深い沈黙のなかで、私の魂は、みことばと交わり、私の知恵は、かれを受けいれるために開かれると同時に、私の心は、これを守るために、注意深く閉じられていました。
 外的沈黙――まわりに響く音や気晴らしや事件からはなれる沈黙のうちに、私は、神のみ旨を完全にうけ入れるために自分を集中させていました。そして、私は、あこがれていたのです、このみ旨を私のつつましい、ごく普通 の生活のうちに、はたしたいと。
 こうして、沈黙は、おん父の偉大なご計画をひめていたのです。このご計画が、私に示されたときも、私は、また沈黙をもって、これを心のなかに、かたく守らなければなりませんでした。
 そのため、私が母となる承諾は、目に見えない秘密のうちに行われました。この承諾は、おん父だけが待ち、受け入れてくださったのです。

 私の承諾は、熱烈な祈りからも、その実として芽生えたものです。
 もう私の生活のすべては、おん父との愛の出合いそのものとなっていました。そこで、おん父は、秘密のうちに、あとで私のおとめの胎内で人となるはずの、みことばのかくれたご計画を、日ましに私に示しておられたのです。
 私には、聖書のほんとうの意味がわかっていました。そして、私の召されていた使命も、しだいに明らかになっていきました。私は、おん父のみことばに、私の血と肉を与える準備をしなければならなかったのです。すべての人を救うために、十字架上にご自分をささげようとして、私の胎内に人間となられるみことばをです。

 静けさの中に
 こうして、私の承諾は、苦しみへの完全な承諾となりました。それは、私がそのときに、おん子のすべて、苦しみもすべて、私のおとめの胎内に受けいれたからです。
 おん子が生まれるより先に、私は、その小さなおん手とおん足の傷をみました。まだ幼い鼓動を、この体に感じる前に、おん胸のあの恐ろしい傷をみました。ゆりかごによこたえられた幼い姿を見るその前に、私は、十字架上によこたわっているそのみ姿を、すでに見ていました。
 愛する子らよ、この1日、あなたがたの天の母が、おん父のみ旨に承諾をあらわす場面を、想像してごらんなさい。あなたがたも、いま、この承諾をくりかえすために召されています。どうか、あなたがたに対するおん父のご計画が実現できますように。あなたがたみなが、きょう、あらわすその承諾を、私は、この汚れなき心に受けいれます。それは、深い沈黙の実としてみのることでしょう。
 おん父のみことばを、心のなかに大事に育てなさい。母が示す計画を、あなたがたの魂の秘密として守りなさい。
 世間のさわがしさから逃げなさい。すべてをまきこみ、すべてをけがしてしまう言葉と映像の怒濤から自分を守りなさい。いま、内的沈黙を守れるものは、だれもいません。それで、私の敵は、あなたがたをまどわし、心と霊魂を犯すのに成功しています。
 おん父のみ旨が実現できるように、あなたがたの承諾をささげなさい。そうすれば、あなたがたは、おん父の奥義そのものに、ますます深くはいるようにと召されるでしょう。
 奥義に入りこむために、祈りが必要です。祈れば、神と交わることになります。
 こうして、きょう、あなたがたは、神のみ声そのもの、その生きたことばとなれるのです。今のこのような事情にあって、イエズスが、ご自分の司祭たちに望まれるのは、これだけです。不幸にも、かれらのなかの多くのものは、イエズスのことばそのものまで乱用して、かれをうらぎってしまいます。
 私の愛する子らよ、十字架に対しても、承諾しなさい。なぜなら、あなたがたのためにも、受難とカルヴァリオのときが来たからです。
 おとめのこの胎内に、おん父のみことばを迎えいれたように、きょう、私は、あがないとなるあなたがたの奉献の瞬間を考えて、あなたがた、ひとりひとりを、汚れなき心に抱きしめます。
 私の小さな子どもたちよ、天のあなたがたの母が、よろこびのうちに神に対してくりかえすこの承諾に、あなたがたの承諾を合わせなさい。
 そうすればあなたがたの上にも、おん父のみ旨が実現できます。そして、私の汚れなき心が、祭壇となり、その上で、あなたがたは、世の救いのために捧げられることができるでしょう。 197
1980年 4月4日 聖金曜日
みすてられた大きな悩みのうちに
 愛する子らよ、きょう、私といっしょに十字架のもとにとどまりなさい。
 私が、亡くなられようとするイエズスの側にいるのは、母としての私の愛で、巨大なそのおん苦しみをみんな包んであげるためです。みんなから見捨てられ、にがいさかずきを飲むかれとともに、私も完全に協力しています。

 十字架のもとには、友人も弟子もいません。いろいろな方法でイエズスから、あれほどの恵みをうけた人々も、ひとりもいません。
 神であるイエズスの瞳は、この内的な、そして、人間的な苦しみにくもっています。母としての私の瞳も、かれの苦しい愛のかわきをいやしてくれる人を探しあぐねて疲れています。慰めてくれる人を探しましたが、みつかりませんでした。
 この十字架のもとには、ホザンナを歌う群集はいません。かれをあれほど歓迎した人たち、かれのパンで養われた、あのたくさんの人たちもいません。
 ここにいるのは、あわれな何人かの子らだけです。かれらは、憎しみで盲目になり、残酷な祭司たちや長老たちにそそのかされて、非人道的なものとなってしまいました。それは、人間たちの忘恩を、もっと、にがいものとし、見捨てられた淋しさを、もっとひどくするためでした。
 これほど苦しんでおられるというのに、軽蔑されるのです。いく度となくお倒れになっておられるのに、どなられるのです。これほど傷ついているのに、侮辱されています。おんからだが、いけにえに捧げられているのに、さげすまれています。臨終の苦しい嘆きのみ声がもれているというのに、不敬なことばがあびせられました。おんいのちの、この最高のいけにえがささげられたのに、けいべつされ、いなまれているのです。
 私のおん子のみ心は、ローマ兵士の槍につらぬかれるより先に、みんなから、こんなひどいしうちで見捨てられたことで、ひき裂かれてしまいました。
 これほどの苦しみに傷ついた母の心は、わずかの忠実な人が側にいるからといって、慰められません。

 ひとりだけ残りました
 この十字架のもとには、かれの12人の使徒はいないのです。その中のひとりは、かれをうらぎって、そのうえ自殺してしまいました。もうひとりは、やがて、かれをいなみました。そして、いま、遠くはなれて、そのことを泣きくやんでいます。他のものは、ばらばらに逃げ散り、大きな恐れでふるえおののいています。
 それでも、たったひとりだけ、私とともに、ここに残りました。小さなヨハネです。
 私は、かれの貧しい心が動悸をうつのを感じています。当惑した子どものようなその恐怖を見ています。また、純粋な友人としてのかれの苦しみも、私はみています。ほんとうは、かれが側に召されたのは、私を助けるためでした。それなのに、かえって、私のほうが、かれを支えるために、この心にかれを抱きしめているのです。
 息たえようとしていたイエズスは、みんなから見捨てられているそのさなかに、十字架の上から、深いまなざしで、わたしたちふたりをごらんになりました。そのまなざしが、かぎりない愛にかがやいたとき、「婦人よ、これは、あなたの子です」とおおせになりました。
 私のおん子は、もうすでに息たえておられます。でも、私は、十字架のもとで、これほどの大きな苦しみによって生まれた私の新しい子どもを、この汚れなき心に抱きしめています。
 こうして、すべてはなしとげられました。

 この十字架のもとに、私は、あなたがたを生みました。それで、きょう、この十字架のもとに、私の愛する子らであるあなたがたを集めたいのです。
 受難の苦しみと、みんなから、み捨てられたつらいそのときをすごすようにと、教会は召されています。その教会に、私がささげる子らは、あなたがたです。それは、私によって、教会が慰められ、助けられるためです。
 それで、あなたがたは、みな、苦しむ母の側に、ヨハネといっしょにとどまりなさい。それは、おん父のご計画が実現されるためです。 198
1980年 4月24日 復活節 ローマにて
信頼しなさい
 心をさわがせないでください。なによりも、よみがえって、おん父の右におのぼりになったイエズスに信頼してください。イエズスは、その天国で、あなたがた、ひとりひとりのために、すでに場所を準備しておられます。
 愛する子らよ、天のあなたがたの母にも信頼しなさい。私の計画は、三位一体の神の奥深くにあります。

 私は、啓示の中のおとめです。
 私のうちに、おん父の傑作が完全な程度に実現するのをごらんになって、おん父は、私に最上のいつくしみの光を注ぐことがおできになる方です。みことばは、私のおとめの胎内に人生をまとわれたのです。このように、私の母としてのまことの役目を通して、神のみことば〔イエズス〕は、あなたがたの所にまで辿りつくことがおできになるのです。聖霊は、私にとって磁石のようです。私を、おん父とおん子のあいだの愛のいのちの奥深くにひきよせてくださいます。そのため、私は、内的に変化し、聖霊の花よめとなるまで、聖霊に似てくるのです。
 神の奥義のなかにかくれている偉大な計画が、私によって明らかになります。
 この奥義を明らかにするのは、私のおん子イエズスです。神性のみちみちたものがすべて、住んでおられるのは、イエズスにおいてだけです。
 だからこそ、イエズスを通して、全人類は、神性そのものの完全な、もとの交わりに連れもどされるのです。おん父の偉大なご計画が実現できるのは、イエズスによってだけです。

 愛する子らよ、信頼しなさい。いまは、これほど暗闇と脅迫にみちていますが、いいえ、こんな時だからこそ、天のあなたがたの母をあおぎみなさい。私は、私の母としての胎内で肉体となった“みことば”の奥義を、あなたがたの魂に示してあげましょう。
 私は、あなたがたが、聖書を完全に理解できるようにみちびいてあげます。あなたがたの住んでいる今の時代は、聖書の最後の書物のなかのある数ページにあたります。それで、いまここに、その数ページをよんであげましょう。というのは、この数ページのなかにこそ、すでに全部のことが予言されているからです。これから起きようとしていることまでも、そのなかには含まれています。私は、最後の戦いのために、あなたがたを呼び集めます。その戦いのことは明らかにのべられており、わたしの偉大な勝利もまた予言されています。それで、くりかえします、恐れないでください。信頼してください。きょうも、よみがえった私のおん子は、あなたがたみんなに、よろこびと平和をおくってくださいます。その平和とよろこびを、あなたがたは、私の汚れなき心のなかで味わうでしょう。

今日の聖句
2008.2.29
コロサイの信徒への手紙
3:18 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。
3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。
3:20 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれ
ることです。
3:21 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからで
す。
3:22 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつ
らおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行
いなさい。
***
それぞれの人間関係の中に「果たすべき役目」があります。そして、パウロ
はその根底に「人に対してではなく、主に対してするように、心か
ら行いなさい」という勧めを置きました。この人のためという発想だけでな
く、この人の中に生きている「主キリスト」に対して正しくあるとはどうい
うことなのか?この人に誠実に生きることが、キリストに誠実に生
きることに通じており、この人に優しくあることがキリストに優しくあるこ
とに通じているという意識で他者との関係を築きなさいというので
す。私たちは「人を所有すること」はできません。それぞれがキリストに所
属しているからです。
「あなたひとりの体ではない」という表現がありますが、まさに、あなたと
あなたのうちにおられるキリストは不可分の関係の中にあるので、
キリストに愛されているあなたと、あなたを愛しているキリストへの誠実さ
をもって関わる必要があるわけです。
慎み深さはそこから生まれるのかもしれません。
祝福がありますように。 関根一夫
プロフィール
HN:
ラファエル
年齢:
50
性別:
男性
誕生日:
1967/01/20
趣味:
パソコン
自己紹介:

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